文 2008年12月06日 23:42 ☆燕さんただいま。これね、旧仮名の練習のためなんです。何時も気をつけているんだけれど、仮名遣いや動詞・助動詞の変化など間違うことがあって。日常語じゃない旧仮名をやめて新仮名で歌を作れば自然なんでしょうけれど、何故だか旧仮名が好きなんです。
文 2008年12月07日 08:46 ☆燕さんときおり、その旧かなゆえの情感に寄りかかりそうになる自分がいて、自戒しつつ書いているつもりなのですが。今の時代にない言葉遣いで書くから、それを理解できない読者と遊離してしまうんだ、と言う意見があって、そういわれれば断然口語新仮名のほうが読者には理解していただき易いわけで、今の作者と読者がほぼ同人数という状況を開くためには口語新仮名が有効なんだ、と言う意見もあるわけで。でも、短歌が定型の文学である以上(これも最近の口語短歌は少しずつ定型から自由になりつつある気がしますが、だったら短詩系定型文学の短歌である必要はなくなるのかなぁ…、)一行詩との違いはあるわけで、…なんてね、何だかよくわからん、今日この頃です^^;
文 2008年12月07日 08:54 ☆くもさんいごっそうで、すみませぬ。依田さんにいきなりメールしたのはわたしからで、恐縮しています。そして、依田さんのメールとくもさんの日記でなっとく。生意気で、いごっそうのオバタリアンですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
燕 2008年12月07日 22:41 なんとなく思ってるんだかなんですが短歌だけが表現の枠を狭める必要はないよな、って。短歌の批評で「歌謡曲みたい」という言い方があるらしいですが、実際ちょっと考えたらmusicのほうの歌が人の心に訴えかけたり10年、20年たっても広く心に残ってたりするわけで「歌謡曲みたい」という言い方で排除してしまってるところを「損」してないのかなって感じです。旧仮名の情感もそれこそコノタシオンってやつの一種と考えればぜんぜんありじゃないか、と旧仮名つかえないしつかわないのだけどでもそういう感じに思ってます。なんか、コメント欄で勝手なこと言ってごめんなさい。
文 2008年12月07日 23:50 ☆燕さん>短歌だけが表現の枠を狭める必要はないよな、って。あぁ、表現に枠をはめる必要はない、のですねぇ。表現に枠をはめた時点で、硬直し始めるんでしょう…。「あなたは何故旧かなで書くのか?」と聞かれたときにうまく説明できない自分がいて、その辺りが自分でももどかしいのです。コノタシオン?記号論でしたっけ? いまだに理解できませぬ^^;あ、ここではぜんぜん、好きにおしゃべりしてくださいませ。コメントしてくださった方同士で、またおしゃべりが始まる、何てこともあったりしますから^^
くも 2008年12月08日 01:20 コノタシオンって、含意です。「江戸っ子」って言った時に、ただ、東京に生まれただけでなく、江戸っ子気質までその文字に含まれますよね、そういうのをコノタシオンといいます。土佐のいごっそう、だって含意あるでしょ、コノタシオンですよ。
燕 2008年12月08日 01:25 使えるもの全部使ったらいいじゃないか、と。ぼくの思ってるのは単純にその一言につきます。単純すぎてあらためて書くとちょっとはずかしいのですが「伝える」という一点を目指すときに歌謡曲っぽいほうが伝わると思ったならそれでいいじゃん。旧仮名の情緒が必要だと思ったらそこに理屈がいるのか。リフレインの魔力はそれこそ歌謡曲とかで上手に使いこないしてて、詩でも効果的に使ってる場合多いので短歌だけがそういうメリットを手放す方向に自ら狭いほうにいくのは不思議ー、って思ってます。や、そういう方向にいってるのかどうかもよく知らないで言ってるので無責任でごめんなさいですが。
文 2008年12月08日 08:15 ☆くもさん「含意」でした。何度教えていただいても、忘れてしまう^^;それと言葉の「象徴性」、このふたつはいまひとつ私のもう味噌に沁みこんでくれませぬ。☆燕さんですね、とりあえず、全力で伝えるということかな。読者がいてこそ成り立つわけですもの。まぁ、迷うといっても結局はわたしは旧かなで書くわけで、とにかく考えすぎないで、自分を表現してゆくことに専念しなければ、いつまでも抜けだせないかもしれませんから。ありがとう。
文 2008年12月08日 08:15 ☆くもさん「含意」でした。何度教えていただいても、忘れてしまう^^;それと言葉の「象徴性」、このふたつはいまひとつ私のもう味噌に沁みこんでくれませぬ。☆燕さんですね、とりあえず、全力で伝えるということかな。読者がいてこそ成り立つわけですもの。まぁ、迷うといっても結局はわたしは旧かなで書くわけで、とにかく考えすぎないで、自分を表現してゆくことに専念しなければ、いつまでも抜けだせないかもしれませんから。ありがとう。
この記事へのコメント
おっきい「や」とか「つ」なんだ。
ふつうの日記なのにそこはかとない
情緒を感じるのはお人柄でしょうか。
ただいま。
これね、旧仮名の練習のためなんです。
何時も気をつけているんだけれど、仮名遣いや動詞・助動詞の変化など間違うことがあって。
日常語じゃない旧仮名をやめて新仮名で歌を作れば自然なんでしょうけれど、何故だか旧仮名が好きなんです。
情感もたしかにありますよね。
文法というハードルはあっても
味方に付けるととっても心づよい感じですね。
旧仮名。
依田さんに、文さんよろしくって言っておいたよ。
メールが届いたでしょ。謹呈するとか、そんなの。
ときおり、その旧かなゆえの情感に寄りかかりそうになる自分がいて、自戒しつつ書いているつもりなのですが。
今の時代にない言葉遣いで書くから、それを理解できない読者と遊離してしまうんだ、と言う意見があって、そういわれれば断然口語新仮名のほうが読者には理解していただき易いわけで、今の作者と読者がほぼ同人数という状況を開くためには口語新仮名が有効なんだ、と言う意見もあるわけで。
でも、短歌が定型の文学である以上(これも最近の口語短歌は少しずつ定型から自由になりつつある気がしますが、だったら短詩系定型文学の短歌である必要はなくなるのかなぁ…、)一行詩との違いはあるわけで、…
なんてね、何だかよくわからん、今日この頃です^^;
いごっそうで、すみませぬ。
依田さんにいきなりメールしたのはわたしからで、恐縮しています。
そして、依田さんのメールとくもさんの日記でなっとく。
生意気で、いごっそうのオバタリアンですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
依田さん。
返事、いただきました。
送ってくださるそうです。感謝です。
短歌だけが表現の枠を狭める必要はないよな、って。
短歌の批評で「歌謡曲みたい」という言い方が
あるらしいですが、実際ちょっと考えたら
musicのほうの歌が人の心に訴えかけたり
10年、20年たっても広く心に残ってたり
するわけで「歌謡曲みたい」という
言い方で排除してしまってるところを
「損」してないのかなって感じです。
旧仮名の情感も
それこそコノタシオンってやつの一種と
考えればぜんぜんありじゃないか、と
旧仮名つかえないしつかわないのだけど
でもそういう感じに思ってます。
なんか、コメント欄で勝手なこと言って
ごめんなさい。
>短歌だけが表現の枠を狭める必要はないよな、って。
あぁ、表現に枠をはめる必要はない、のですねぇ。
表現に枠をはめた時点で、硬直し始めるんでしょう…。
「あなたは何故旧かなで書くのか?」と聞かれたときにうまく説明できない自分がいて、その辺りが自分でももどかしいのです。
コノタシオン?
記号論でしたっけ? いまだに理解できませぬ^^;
あ、ここではぜんぜん、好きにおしゃべりしてくださいませ。
コメントしてくださった方同士で、またおしゃべりが始まる、何てこともあったりしますから^^
「江戸っ子」って言った時に、
ただ、東京に生まれただけでなく、
江戸っ子気質までその文字に含まれますよね、
そういうのをコノタシオンといいます。
土佐のいごっそう、だって含意あるでしょ、
コノタシオンですよ。
ぼくの思ってるのは単純にその一言につきます。
単純すぎてあらためて書くと
ちょっとはずかしいのですが
「伝える」という一点を目指すときに
歌謡曲っぽいほうが伝わると思ったならそれでいいじゃん。
旧仮名の情緒が必要だと思ったらそこに理屈がいるのか。
リフレインの魔力はそれこそ歌謡曲とかで上手に使いこないしてて、詩でも効果的に使ってる場合多いので短歌だけがそういうメリットを手放す方向に自ら狭いほうにいくのは不思議ー、って思ってます。
や、そういう方向にいってるのかどうかもよく知らないで言ってるので無責任でごめんなさいですが。
「含意」でした。何度教えていただいても、忘れてしまう^^;
それと言葉の「象徴性」、このふたつはいまひとつ私のもう味噌に沁みこんでくれませぬ。
☆燕さん
ですね、とりあえず、全力で伝えるということかな。読者がいてこそ成り立つわけですもの。
まぁ、迷うといっても結局はわたしは旧かなで書くわけで、とにかく考えすぎないで、自分を表現してゆくことに専念しなければ、いつまでも抜けだせないかもしれませんから。
ありがとう。
「含意」でした。何度教えていただいても、忘れてしまう^^;
それと言葉の「象徴性」、このふたつはいまひとつ私のもう味噌に沁みこんでくれませぬ。
☆燕さん
ですね、とりあえず、全力で伝えるということかな。読者がいてこそ成り立つわけですもの。
まぁ、迷うといっても結局はわたしは旧かなで書くわけで、とにかく考えすぎないで、自分を表現してゆくことに専念しなければ、いつまでも抜けだせないかもしれませんから。
ありがとう。