2008年12月05日 鼓動はつかはづみはじめて虚無へおちゆくやうな出逢ひがあつた 短歌 ひとりごと 初稿;鼓動はつかはづみはじめて虚無へとおちゆくやうな出逢ひがあつた朝は、空気が生温く思われた。午後になつて、ぐんぐん気温が下がり始めた。時折霙混じりの風が吹き付ける。明日は雪になるかもしれない。
くも 2008年12月05日 23:33 明日は雪という予報もあります。雪は、にんげん界をひっそりさせてくれて、わたしは好きです。が、静岡まで結婚式に行かなくてはならないんで、雪、困ります。さて、歌ですが、そういう出会いがあったんですね。それはそれは。初句の字余りは気にならないんですが、腰の句の「虚無へと」が安定しない気がしますが、いかが。
文 2008年12月05日 23:55 ☆くもさん結婚式ですか、おめでたいことですね。太平洋側も雪になるのでしょうか。はい、4文字です。やっぱりダメですか…。くもさんで二人目です、不安定と言うコメント。
tamaya 2008年12月06日 13:56 私がその一人目でした・・・^^;ただ、この一首を朗読するとしたら、と考えると、「はじめて」の後に休止符、それも相当に長い休止符があって、「虚無へと」はもう消え入らんばかりに読む、というのだったら効果アリでは? とも思えてきました。くもさん、いかがでしょう?
禰子 2008年12月06日 17:00 tamayaさんの“消え入り案”いいですね。鼓動はつかはづみはじめて、虚無へ とおちゆくやうな出逢ひがあつた無理からにこう読ませてしまう、というのはどうでしょう?少々強引かしら…(そうか、私のテンマル癖はゴーインだったのか^-^;
燕 2008年12月06日 18:02 んーなるほど。文さんの歌とみなさんのコメント読みながらやっぱり詠唱するときの音というのは大切なんだなあと感じました。今まであんまり考えたことなかったので勉強になりました。
tamaya 2008年12月06日 20:12 こんばんは。この場をお借りしちゃって禰子さんへ・・・テン、マルを使うのは読者を信頼していないからだ、という意見もあって、岡野弘彦さん以外はほとんど踏襲されていないですよね。でも、テン、マルは作者の熱意の表現だったのではないか、とも思えます。あって邪魔になるものではないし、私は「熱意」説に傾きます。^^
禰子 2008年12月07日 00:12 (笑)失礼、わたくしも少々お借りいたしまして…(^-^;そうかー、読者への信頼云々といわれてしまうのですねぇ。私としてはおっしゃるように熱意の表現、あるいはやむを得ない区切り、として捉えたいのですが…。ただ、以前結社誌にて、6首すべてテンマルがついていたときには、さすがに自ら辟易しました。それからやめる努力(というか、無意識で使わない努力)をしなければ…と思うようになった次第です。でも、必然的でさえあれば、いいと思ってしまってはいます。
文 2008年12月07日 00:18 ☆tamayaさん、禰子さん>必然的でさえあれば、いいと思ってしまってはいます。その「必然」が難しいです。記号も、破調も、オノマトペ、繰り返し…、たくさん詠んで、体得するしかないのかなぁ。。。
くも 2008年12月07日 08:36 tamayaさんわたしは、そのような「離れ業」のような読み方が不器用でできないですねぇ。ここは、ひとつ、オノマトペでもいれたらいかが。鼓動はつかはづみはじめて ああ虚無へおちゆくやうな出逢ひがあつた
tamaya 2008年12月08日 05:02 おはようございます。うわあ! 第3句、ついに3音にしたんですね! 私にはこういう勇気が欠けています。^^;歌会で小池さんがコメントしたら、もうムッチャクッチヤに言うでしょうけれど、文さんとしては「言われれば言われるほど快感です」「もうわたくしには怖いものは何もございません」という心境かと拝察します。うううう・・・ すごい・・・^^
文 2008年12月08日 08:20 ☆tamayaさんえへっ。小池さんむちゃくちゃ言われたら、きっと深く深く落ち込むと思うけれど、わたしは私でしかない、それ以上のものにはなれそうもない、って感じかなぁ…。そんなに強くないです^^わたしなりに不器用なだけで。。。
この記事へのコメント
雪は、にんげん界をひっそりさせてくれて、
わたしは好きです。が、静岡まで結婚式に行かなくてはならないんで、雪、困ります。
さて、歌ですが、そういう出会いがあったんですね。それはそれは。
初句の字余りは気にならないんですが、腰の句の
「虚無へと」が安定しない気がしますが、
いかが。
腰の句の「虚無へと」の字足らずが
不安定に感じるです。
「きょむへと」は4文字とカウントして
いいんですよね。
結婚式ですか、おめでたいことですね。
太平洋側も雪になるのでしょうか。
はい、4文字です。
やっぱりダメですか…。
くもさんで二人目です、不安定と言うコメント。
ただ、この一首を朗読するとしたら、と考えると、「はじめて」の後に休止符、それも相当に長い休止符があって、「虚無へと」はもう消え入らんばかりに読む、というのだったら効果アリでは? とも思えてきました。
くもさん、いかがでしょう?
鼓動はつかはづみはじめて、虚無へ とおちゆくやうな出逢ひがあつた
無理からにこう読ませてしまう、というのはどうでしょう?少々強引かしら…(そうか、私のテンマル癖はゴーインだったのか^-^;
すみません、歌に沿って、強引に読んでいただいて、うるうるです。
かなり、チャレンジしてみましたが、今もって自信はありませぬ。
文さんの歌とみなさんのコメント読みながら
やっぱり詠唱するときの音というのは
大切なんだなあと感じました。
今まであんまり考えたことなかったので
勉強になりました。
皆さんのコメント、ほんとうに勉強になります。
この歌はくれぐれも、見本にはなりませんが^^;
燕さんも、どうぞ厳しい批評をお願いします。
テン、マルを使うのは読者を信頼していないからだ、という意見もあって、岡野弘彦さん以外はほとんど踏襲されていないですよね。
でも、テン、マルは作者の熱意の表現だったのではないか、とも思えます。
あって邪魔になるものではないし、私は「熱意」説に傾きます。^^
そうかー、読者への信頼云々といわれてしまうのですねぇ。私としてはおっしゃるように熱意の表現、あるいはやむを得ない区切り、として捉えたいのですが…。ただ、以前結社誌にて、6首すべてテンマルがついていたときには、さすがに自ら辟易しました。それからやめる努力(というか、無意識で使わない努力)をしなければ…と思うようになった次第です。
でも、必然的でさえあれば、いいと思ってしまってはいます。
>必然的でさえあれば、いいと思ってしまってはいます。
その「必然」が難しいです。
記号も、破調も、オノマトペ、繰り返し…、たくさん詠んで、体得するしかないのかなぁ。。。
わたしは、そのような「離れ業」のような
読み方が不器用でできないですねぇ。
ここは、ひとつ、オノマトペでもいれたらいかが。
鼓動はつかはづみはじめて ああ虚無へおちゆくやうな出逢ひがあつた
オノマトペ!
うう。
まずいんではないか、そうおもうんです。
あ、確かに!
うわあ! 第3句、ついに3音にしたんですね! 私にはこういう勇気が欠けています。^^;
歌会で小池さんがコメントしたら、もうムッチャクッチヤに言うでしょうけれど、文さんとしては「言われれば言われるほど快感です」「もうわたくしには怖いものは何もございません」という心境かと拝察します。
うううう・・・ すごい・・・^^
えへっ。
小池さんむちゃくちゃ言われたら、きっと深く深く落ち込むと思うけれど、わたしは私でしかない、それ以上のものにはなれそうもない、って感じかなぁ…。
そんなに強くないです^^
わたしなりに不器用なだけで。。。